Freedom of the press 報道の自由

Good Saturday afternoon.

「自由」について。

友人がある新聞記者に今の日本の政治についてインタビューされ、率直な意見で返答したところ、後日、その記者からその内容では掲載できませんと言われたたそうです。

それを聞いて、自由って何だろうと思いました。

学生の頃、ジャーナリズムのクラスをとっていてジャーナリストになりたかった時がありました。でもメルボルンの街角でタップを踊りながらサックスを吹いてるおじいさんを観て感動して泣いて、ヴォードヴィルの世界に。いや、その頃はまだヴォードヴィルなんて言葉は知らなかったかな。小中と日本舞踊、高校でバンドにはまって、日本に帰ってきてからパントマイムの劇団にも入って、ウクレレも大道芸も始めて、好きなことだけを好きなやり方でやってたら自然とヴォードヴィルに出会いました。歌と踊りのコメディー、日本では演芸(寄席で言う色物さん)がヴォードヴィル。チャップリン、バスターキートン、ウクレレアイク、エノケン、寅さん、由利徹、萩本欽一、ビートたけし、皆ヴォードヴィリアンだと思います。でも一般的には芸人とか、歌手とか、俳優とかダンサーとか分けた方が都合が良いようで、ヴォードヴィルという言葉は使われなくなりました。

でもそんな世界が好きすぎて、ヴォードヴィリアンと名乗り、続けていたらヴォードヴィルの語源はフランス語でvoix de ville、街の声という意味なんだと知りました。僕の中で点と点が繋がりました。

新聞もヴォードヴィルも街の声を拾ってネタにするのが基本。それは表現の自由。

どんな表現も自由で、表現の可能性は無限です。面白い方がいい。美しいほうがいい。シンプルなほうがいい。そして何が素晴らしいって表現は受け取る側も選べる自由があるんです。自分が好きなものを好きって言える自由があるんです。

人を傷つけるような、遠くで誰かが傷つくようなネタは自由とは言えないと思います。どんなシャープな表現であっても、それを発信する側と受け取る側との間に共有できる愛がなければ自由ではないと思うんです。2015年にパリで悲惨な事件が起きました。シャルリーエブドの風刺画も、ISがおこしたテロも、どちらも自由の名の元に行われたけれどそれは歪んだ自由だったと思います。なぜ過激派があんな行動をしたのか。蓄積された怒りの爆発。僕はその怒りの源に底知れない悲しみも感じました。

何かの圧力に屈する表現も自由ではないよね。自分が思っている事、感じている事を素直に言えない不自由さはいつでもあります。でも自分が信じられるなら、自分の表現を愛して、他人の事も本気で愛せるのなら怖れる事はないのです。

日本国憲法第21条

1集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。

2検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

初めてのソロ作品、BARON 1st solo album「来し方行く末」より2曲目、「報道の自由」のMVが完成しました。撮影、監督は信頼できる仲間、アーティスト、カメラマンのヘルシーくん。参加してくれたミュージシャン、協力いただいた皆様にも感謝です。ありがとうございました。

自分の意志を愛せることが自由だと思います。自分を解放して、自分自身になれる生き方を見出すことだと思います。バーレスクダンサーのチェリータイフーンとネオヴォードヴィルのショー、Casino Folliesの稽古中に共に作詞しました。メッセージは、僕は自由。そして、君も自由。